札幌円山のオーガニック専門店らる畑には、農薬や化学肥料を使用しないで栽培された有機農産物や加工食品が並んでいる。農産物への農薬の使用や加工品に添加物を加えることが当たり前の時代に、らる畑は40年前から移動販売と円山の店舗営業を通して有機食品の必要性を伝え、流通に携わってきた。
40周年を迎えるにあたり、北海道大学農学部の高木このはと、小樽商科大学の吉野美桜が、らる畑の創業者である橋本早知子さんに、らる畑創業の原点を聞いた。


インタビュアー紹介
高木このは:株式会社エレメントのインターン生。大学3年次に学生出産を経験し、子どもの体の基礎をつくるのは食であることから、オーガニック食への興味が高まっている。大学では、乳製品や家畜動物のことについて学んでいる。将来は体に優しい食を提供する飲食店を開きたいと考えている。
吉野美桜:株式会社エレメントのインターン生。ドイツに1年留学していた経験から、ドイツの食品に添加されている添加物が少ないことを知る。家族が「生活クラブ」を利用していたこともあり、オーガニック食品に興味がある。
八百屋「夢屋」のリヤカー販売と有機農業に取組む生産者との出会い
早知子さんが有機野菜に出会ったのは、シングルマザーとなり仕事を探していたときだった。子育て中の友人に紹介されたのが、当時札幌で有機野菜の販売をしていた八百屋「夢屋」。まだ「有機」という言葉すら世の中に浸透していなかった時代、早知子さんはここでリヤカーに野菜・加工品を乗せて販売する仕事を任された。32歳という若さもあり、力仕事もいとわなかった。
戦後、アメリカの影響もあって化学肥料と農薬が日本の農業に農作物の安定供給をもたらした。だが、戦後生まれの世代が20代・30代になった頃、生産者たちの間で農薬障害が表面化し始めたことで農薬の多用に疑問を持ち、化学物質に頼らない農業に取組む生産者が少しずつ増えてきた。
しかし、農薬や化学肥料を使用せずに作る野菜は、コストがかかる割に、虫食いがあったり、形が不揃いだったりということがあり、当時の流通から理解が得られず規格からはじかれるものが多かった。
「生産者のチャレンジを支えたいという思いがあった。」
夢屋での日々を通じて早知子さんは、丹精込めて野菜を作りながらもそれを届ける場所を持たない生産者たちの存在を知っていき、支える立場になりたいと考えるようになっていった。
土に向きあう人たちの信念と生命力
そんな早知子さんの想いの根底には、三里塚で出会った農家の姿があった。
成田空港ができる前、千葉県三里塚では、農地が強制的に収用され、農民たちが土地を追われようとしていた。早知子さんは当時4歳だった娘を連れて、その地の農家へ援農に訪れた。
「大学をやめて嫁に入った方や、おじいちゃん、おばあちゃんたちが、地べたに這いつくばって草取りをしながら一生懸命農業をやっていたんです。」
「野菜もおいしかった。いいものを作ってこの土地を守るんだという思い、都会の人にもいいものを食べさせるんだという思い、田んぼにはヘビやカエルもたくさんいて、生き物と共にある農業の姿に感動した。」
生産者の強い信念と生命力に心を打たれた早知子さんは、こうした農家の思いが報われない日本の農業と流通をなんとかしたい、と思っていた。
「私、やるわ!」──まず免許を取って、車の移動販売をスタート!
有機農業を志す生産者を支えたいという思いが募る中、1985年、有機農産物と合成添加物を使わない加工品を流通させるネットワーク「ポラン広場」への参加を呼びかけられた早知子さんは声を上げた。
「私、やるわ!」
取り立ての免許で移動販売を始めると同時に、「ポラン広場北海道」に参加。全国の有機八百屋が参加するネットワークの北海道拠点だった。全国に4つの卸センターがあり、八百屋と宅配事業も一緒になり、生産者と流通が会議をしながら、作付け量や価格を取り決めていった。
「全国の仲間がいたから、助けられたんです。」

チェーン店のように本部の指示が降りてくる関係ではない。生産者側も、売る側も、対等な横のつながり。もっと売れ、もっと作れ、というような一方的な関係ではない。互いに自分の思いをきちんと伝え合うことを、このネットワークの中で学んでいった。
早知子さんが目指していたのは、単に商品を右から左へ流すことではなかった。
「何でもそうだけど、作る人が丹精込めて作ったものを、ただの商品として流通させるだけでいいのか。ちゃんと受け止めて、美味しく食べるのが本来の姿じゃないか」
普通の流通の仕組みを変えたかった。それは、利益だけを目的にはしていなかった。
有機野菜を選ぶことは、地球と、子どもたちの未来を選ぶこと
夢屋時代に出会った生産者たちの生き方に、早知子さんは惹かれていった。「この人たちの畑を広げたい」。三里塚での経験、夢屋での出会い、有機農業運動とのつながり。縁が絆になり、有機の世界にのめり込んでいった。
「地球環境の破壊をどうにか食い止めなきゃ、子どもたちの未来をどうにかしなきゃ。そういう思いが重なって、長く活動を続けてこられたんだと思います。」
有機野菜を選ぶという行為は、「体にいいものを食べる」という個人の選択だけにとどまらない。それは、規格に縛られず土と向き合い続ける生産者の暮らしを支え、地球環境への負荷を減らし、次の世代に残す土や水を守ることにつながっている。
「この品物を買っていただくことは、これから子どもたちに受け継がれていく地球環境を守ることなんですよ。地球環境を守れば、平和が持続できますよ。そういう風にお客さんに思ってもらえたら。」
らる畑の棚に並ぶ、全国各地のオーガニック野菜。それは、40年前に一人の女性が「私、やるわ!」と決めたところから続く、努力の結晶なのだ。
